カタリナブログ

日々思うことを書く場所

個人的な研究

私は研究というか、家族のことを知りたくて発達障害精神障害のことを色々調べています。

結構何十冊も読んでいるのですが、知識が増えてくると精神科医や心理学者、カウンセラーの方でも見分けがついていないと言いますか、一緒くたにされていることがあるなと気付きまして。

 

それが何かと言いますと、不適切養育下での発達障害の方と、適切な養育下での発達障害の方は明らかに違うのではないかと。

発達障害の中にも種類が色々あって、ADHDASD、LD、自閉症とグラデーションになってはいるので重複したり、はっきりと分けられるようなものでもないようなのですが。

発達障害って遺伝します。

ということはですね、健常者の方の子供が発達障害を抱えていたとします。

勉強して一生懸命、不自由が少なくなるように大切に育てます。

それでも育てにくいです。嫌なこと、受け入れられないことが多いですし、他の子とトラブルを起こしては学校に謝りに行ったりして、親もイライラしてしまったりします。人間ですもの。でもあとで罪悪感を抱えて、自分が悪いんじゃないか、うまくできてないんじゃないかと悩みながらも育てていきます。

この子は、比較的適切な養育を受けた発達障害の子です。

 

その子が大きくなります。

男の子だったら、嫁を貰い結婚し、子供を作ります。

女の子だったら、旦那を見つけ結婚し、子供を作ります。

親になった時、やはりどうしても健常者の人と同じように子供を育てることは難しいと思います。もちろん障害の程度にもよりますが。

 

子育てって、タイミングよく応答し、安心感を与えることが一番大事だと思うのですが、想像するのが苦手だったり、相手の気持ちを察することが苦手な人にはそういうのってとても難しいと思うのです。

でも、赤ちゃんは親がすべてです。親の対応が人生を左右します。

なので、ここで不適切な養育がスタートしてしまう可能性が高いです。

父親より母親の方が赤ちゃんに与える影響は大きいです。

その家族に生まれた子供が、健常者と発達障害の子が1名ずつだったとします。

その場合、健常者の子より、発達障害の子のダメージの方が大きいと思います。

発達障害の子の扱いは難しいです。健常者の人でも育てるのが難しいのに、それを障害を抱えながらするのはもっと難しい。

こうやって、世代を経るに従ってダメージは蓄積されていくと思います。

それが精神障害の人たちがたくさん増えた今の社会なんじゃないでしょうか。

 

昔なんて障害に対する知識も少ないですし、誰にも気付かれないまま、うちの親のように大人になってしまった人たちがたくさんいます。

うちはかなり重症のようです。代々蓄積されてきたものがあるのでしょう。

 

愛着障害というのがあって、生れてから1歳半くらいまでの間に愛情を持って適切に接していないと、発達障害のような症状が出ます。

ポリヴェーガル理論によればそれは神経系の発達が未熟になってしまうせいらしいのですが、その発達障害風の症状の人と発達障害の人は違うのに誤診で一緒くたにされていることが多いみたいです。

その発達障害風の症状が、繊細な人(HSPと巷で言われているような5人に1人くらいの人)に出るのと、普通の人に出るのと、もともと発達障害の人に出るのと、違ってくると思うんですね。

でも、そういうところって区別されていなくて…

そこのところが知りたかったのですが、本を読んでいてもその辺は明確に分けられている様子はなくて。

まだまだ脳のことは解明されていないんですね。

 

離婚や死別、戦争や災害でも心は傷付きます。

障害以外にもそういうものが蓄積されて、今の時代なんだなと改めて思いました。

人は増えすぎると、歴史が長くなると、病んでいくようにできているのだろうか。

その病み具合はどんどん世代を経るに従って濃くなっていってるんじゃないだろうか。

とか壮大なことまで考えてしまいました。

 

自分にできることってなんだろう。

次の世代になるべく傷を残さないように、自分を労わっていくことなのかなと。

私は割と我慢するタイプなので…あと、頑張りすぎるので。

もっと我儘になれるように少しづつですが頑張ってみようと思います。

自分がどうなのかって、普段あまり考えなくて。

客観的に見てるつもりでも、本当に雨漏りしてるのに誰か侵入してこないか玄関で警戒しているような…ちぐはぐな行動してます…

自分を守りたいのに、守れてないのは守り方を間違えているから。

立ち止まって、確認しながらゆっくり進もうと思います。