カタリナブログ

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余裕があるように見える問題

 

 私はなぜか余裕があるように見られがちです。実際めちゃめちゃ焦っていても、あまり焦っているようには見えないみたいです。

 怖がっていても同様。感情表現が乏しいのかも知れません…でも、隠しているわけでも偽っているわけでもないです。基本すぐ表情に出ます…

 それなのに余裕があるように見える。確かに人よりたくさん考えるのと、ビビりなのでたくさん考えてリスクを減らしたい欲求のせいで、色んなことを把握していないと落ち着かないので他の人よりは多く知っているせいで、余裕があるように一見見えるのかも知れません。

 

 それと、「にぶい」部分もあります。反応が悪いというか…考え事をしているせいですかね。

 最近、「その生きづらさ、発達性トラウマ?」という本を読みました。ポリヴェーガル理論で考える解放のヒントという副題です。ゆるかわいいクマさんが考え事をしているイラストが描かれた表紙の花丘ちぐささんという著者のご本です。

 

 

 

 ポリヴェーガル理論は初見だったのですが、今まで読んだ発達障害愛着障害の根幹をここに見た!というような理論でした。日本では今ちょうど、海外の論文などから要約して広まりつつある理論のようです。

 とても納得したし、多くの人に当てはまることなのではないでしょうか。地震や戦争、不適切養育、いじめ、などなど。人間がなかなか避けられない環境で傷付いた心をそっと癒してくれる優しい本。

 ポリヴェーガル理論もとてもわかりやすく書いてくださっています。とてもお勧めの本です。

 

 生まれてすぐの赤ちゃんの要望に、適切に応答することがいかに大事か。1歳半までの自分では何もできないとき、不自由で訳が分からない苦しいときに安心感を与えてあげられることがこんなにも、その子の一生涯の人生を左右するものなのかと。

 子育てという部分をもっと人は大切にするべきなのだなと思わされました。呼びかけに答える、不快を取り除いてくれる。そんなことがこの世界に出てきた時には一番大事なんですね。

 

 もっと子育てしているお母さんを労われるように周りの意識がなっていかないといけないんですかね。その親自体も発達性トラウマを抱えていることが往々にしてあるのでなかなか難しい問題です。

 裕福って金銭的に、だけじゃないですよね。お金があっても心が寂しければ意味がないし。上を目指すのも結構ですが、何のために目指しているのかと。

 

 支配したいためなのか、利益を得たいためなのか、優位に立ちたいのか、自己満足なのか。何かをなしたいとか、これが好き、いう理由ならいいけれど、先述の理由だと自分すら本当の意味で救えない。

 でも、今の世の中は人より優位にっていうのが先行してて…利益をあげることが一番みたいなのもよくないですよね。

 結局それって自分を追い込んでいくことだから。全部、自分を守りたいが為なんですよね。保険だったり。

 私もその中の一人ですが…利益とか求める方じゃなくて、知って防御する、みたいな。他人のことを知りすぎるのは私にとって良くないことなのかも知れません。

 

 なるべくノーガードで開き直れるようにしたいものです。

なんだかんだそれが一番最強ですよね。

 リュックひとつで旅に出る感じ。というと、バックパッカーって自尊心高くないとできないのでしょうか。明るく前向きな人が多い印象ですよね。

 何が起きても身一つで対応しますよ。な背中がまぶしい。

無謀なのとは、違いますからね。なんだか自然体な人が多いです。